自閉症スペクトラム(asd) 息子の特徴と母のママ友との付き合い

  • 息子  療育園→小学校支援級→普
        通級+通級 現在小学生。
  • みお  パート主婦。おでかけ好き。
  • 旦那  息子に勉強を教えてくれる。
  • ハムスター  臆病な性格の1歳。

    筆者の自己紹介です。
みお

後に「自閉症スペクトラム障害」という診断がついた息子ですが、小さい頃、どんな行動をしていたのかを記録しておきます。

この記事では、「自閉症スペクトラム」「ADHD」の診断を後に受けた子供の2歳ごろの様子を書いています。

その子それぞれに特徴があると思うので、必ずしもこんな行動があったら発達障害というわけではありません。

言葉が遅い、周りに比べて行動が自由、多動だなという子供をお持ちのママさん、パパさんにおススメです。

目次

息子、2歳頃

このころ、基本的には家で保育をしていたので、毎日公園へ行っていました。

息子は、遊具などでは遊ばず、公園の排水溝に拾った小石をぽちゃんぽちゃんと、延々と入れ続けていました。

とりあえず投げたりはせずに、一か所に入れてくれたので、私もあまり注意しませんでした。

あと、これは誰でもやることかなと思いますが、鳩をずーーーーーーーっと追いかけてました。

これは成長してからでもやっていましたね、成長してからはある程度のところで、もうおしまいと言えばやめますが・・。

それから、場合によって小石を投げる、砂をなげる、落ち葉をなげる。ボール遊びは上手く取れなくて一度でもミスしたら癇癪。砂場はおもちゃの取り合いで癇癪。(主に取られるほうで取られるとずっと大泣き)

よく言う、「クレーン現象」(保護者など、他人の手を取って物を指したり、取らせようとする行為)は息子はやりませんでした。

あとはひたすら走り回っていましたね。子供が生まれてから出来たママ友と、一緒によく公園に行ってましたが、小さいうちは、そんなに足が速くなかったし、ほかの子もチョロチョロしていたので、
小さめの公園で集まって、ママたちと話をしながら遊ばせられました。

このころ、とにかく靴はイフミーでした!!

価額もお手頃な方ですし、ペタッとマジックテープではれるので、履きやすそうでした!

息子、3歳頃

プレ幼稚園前くらいの年齢になってくると、子供たちもお友達と一緒に遊ぶようになっていきます。

親たちも子供たちがある程度集まって遊ぶ周りで円になってずっと話しています。

ですが、息子はお友達には全く興味はなく、行きたい方へずんずん歩く、走る。

私はずっと見てないといけないので、一緒に公園に行っても、ママ友と話をすることは全く出来なくなり、一緒に行ってる意味もなくなってしまいました。

帰りの挨拶だけをしに、みんなのところへ息子を抱えて一瞬戻ったり、精神的にも辛くなるのでママ友と一緒に公園へ行くのは辞めました。

みお

元々社会と繋がっていたい、人とお話ししたい。

性格なのもあり、子供を見守りながら、固まって話をしていられるママたちがとても羨ましかったです。

 児童館も、持って行ってはいけないところまでおもちゃを持って行ってしまったり、部屋でなく廊下や階段へ行ってしまったり、電車のおもちゃの独占欲が強かったり、、
どこへ行ってもなかなか大変でした。

家にいると、その場でグルグル回ることも少ししてました。お絵描きなど私に書かせる割に、息子が思っていたものと実際が違うと、癇癪で泣きました。

言葉で伝えられないので、私もどういう風にしてほしかったのかが解りませんでした。

保育園に入れることも考えました

保育園に入れることも考えましたが、住んでいる地域が、認可保育園は専業主婦が入れる地域ではないので、認可外の高い保育園に入れるしか方法がありませんでした。

この時、専業主婦な私がいちから働いて、ちゃんと働き続けられるのかも不安がありましたし、療育もあることを思うと、踏み出せずにいました。

この時は特に、フルタイムで働いても希望の保育園に入れない方もたくさん居たので、短時間のパートなどでは難しかったと思います。

今現在は保育園も増えてきたので、パートでも働き続けられるのであれば入れると思いますが・・。

ママ友グループと行動するのが難しい、話題もうちだけ違う。ママ友グループは抜けることにしました。 

もう、息子がひたすらどこかへ行ってしまうので、ママ友グループと行動するのが難しい。

最終的には幼稚園入園の話題になるのですが、うちは療育園に行くことが決定したところで、決め手だったのが、ライングループで、幼稚園の制服の写真」の見せ合いになり、うちは療育園なので、制服は無いんですよね。

かわいい制服姿が本当に見たかったので、相手に悪気が無いのは解るのですが、もう無理だなあと感じ、ママ友グループは抜けることにしました。

幸い、そのグループがとても近所とか、今も学校が一緒ということも無く、その後、相手方の家の購入などの引っ越しでバラバラになりました。

特に喧嘩をして別れたわけではないんですけどね。

私は私で、この後、親子療育へ無事に通えることになりましたので、新しい自分の状況と似ているお友達が出来たりしましたので、ひとつのママ友グループに固執しなくて良いかと思います。

まとめ

とにかく息子は、癇癪、多動、ほとんど言葉を話しませんでした。

ママ友との付き合いについては、「グループでの付き合い」は辞めましたが、1対1で会える方とは、公園ではなく、比較的目が届きやすい児童館で遊んでくれる方と遊んだりはしていました。

元はグループ付き合いで、疎遠になった方もいますが、1対1で会う方とは、息子が小学生になった今でも、ママ同士は普通の友達として、続いています。

それから、子供が生まれる前からの「自分自身の友達」と会う時間を作りました。外で会うこともありましたが、自宅へ来てもらえる方は来てもらって、お話したり。自分自身の友達、(これから作る)が大事だなと感じました。

その後の息子の就園の進路についてはこちら。

あわせて読みたい
発達障害、自閉症児の就園【多動な子は幼稚園か療育園か?】 この記事を読むと、発達障害、自閉症スペクトラム、ADHD、多動で集団行動が出来ない子どもが、幼稚園に就園するか、療育園に就園するかの進路決めについて。と、プレ幼...
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次